ゆるやかな記録

何となく過ぎてゆく毎日とひとりごと、ほぼ進まないけど楽しく感じる英語の勉強について。レベルは中級かなぁ。

余命数ヶ月の母にとって、娘は便利屋なのだ。

春のたんぽぽ

深刻な病気で余命数ヶ月。


症状が出たときには  “末期”  だった。


『  “たぶん”  年は越せる。


突然何が起きるかはわからない。』とお医者様に言われている88才。





昨日は手をつないで、郵便局まで2人でのろのろ歩いた。


いつものセリフ。


『娘がいて良かった~。あんたがいて、良かったわあ。』





はあ。。。


私は毎回複雑な気持ちになる。


「娘は便利屋だからね。」 と答えた。


母は毎回、黙っているか頷くか。





便利で、言いたいこと言えて、遠慮がなくて、気を使う必要がなくリラックスできる。





そうならねえ、小学生の私にあんな仕打ちをしなくて良かったんじゃない?

 

と思う。

 

守ってくれたこともなかったなあ。





ある真冬の朝、特別な理由はなくて学校に行きたくない!と思った。


お熱があるから学校を休みたいと両親に言った。


小学校3年生くらいだったかな。


もちろん熱なんてない。





父が私を太い紐で自転車に結びつけて


『学校に行けえっ!』


と怒鳴った。


大泣きする私を雪のなか何メートルか引きずった。


当時の舞鶴はかなり雪が積もったのだ。





今思い出して書いていても、胸が苦しくなる。


胸の中が涙でいっぱいになる。


無垢で小さく繊細な小学生だった私を抱きしめてやりたくなる。





ひどく怒り狂った父と私を見ていたそんな時も、


母からのかばう言葉もなく、もちろん助け船も出なかった。


不愉快そうな顔をしていた。


何か小声で一言くらいは言ったのかもしれないけれども、


大声で泣いていた私には聞こえなかったのかもしれない。





我が家では、絶対的に男の子が大事。


両親とも、生まれた時から弟が何よりも大切だった。


でも、初めて九州の父の実家て父の姉に会ったとき


幼稚園児の弟はその父の姉に “落ち着きがない”  とけなされた。


母はそれがその後何年も許せなかった。


溺愛している弟をけなされたのだ。


『上のお姉ちゃんはお行儀がよくて優秀ないい子だ。』


と言われてしまったものだから、関東に越してくる直前まで


家庭内での、言葉やその他による精神的虐待は続いた。


『どうせあんたはいい子でしょう!』





関東への引っ越し後は、それらがぱったりとやんだ。


 



現在 弟夫婦は 【仕事が忙しい】


しかたない、また私にオハチが回ってくるのだ。


モヤモヤする時もあるけれども、一人暮らしの老人が目の前にいるわけよ。


来年の桜を見ることはない。  


雛祭りも厳しいらしい。


呼吸困難ののち、鎮静となり、最期を迎えるらしい。


放ってはおけないよね。





片道2時間通うのは私にとってはキツいので


我が家近くのホスピスに入って貰いたい。


私の負担は軽くしたい。







今も現役で活躍中。

ド昭和の目覚まし時計。

ダーク時代の母のことも知っている時計かもしれない。